「トラウマ」スイッチ
2020-03-12
誰にだってトラウマはある。
とはいえ、「トラウマ」という一言では表せないくらい、個人個人のトラウマは異なるものである。その差異のうち、第一に挙げられるものはその「程度」であろうか。しかも、主観的な「程度」と客観的な「程度」とでは文脈上大きな違いがある。前者は個人の精神的な部分に大きな影響を与えているか否か、または他者へ告げることが(個人的に)どれくらい憚られるかといったニュアンスのものといえる。一方後者は、第三者の目線でその光景がどのくらい凄惨なものであるかというように説明できるだろうか。このように二者を捉えた場合、それらが「どれぐらい一致しているか」という部分は「共感性」に直轄している。誰かにとってのトラウマが他者にとって理解しやすいかどうかは共感のために肝要なことであり、その理解が容易か否かはその二つの「程度」の近さが関係してくる。そのため、「トラウマ」を語るうえでの個人的な印象として、この「程度」の問題が、意識的もしくは無意識的に個々人の心理に表出しているように見える。やはり「トラウマ」というだけあって、積極的に他者へ開示したくないことであるのはもちろん、その告白に対して共感が伴ってほしいことであるのは当然のことである。話が少し逸れたが、他にもその数や体験した環境、更にはフラッシュバックするトリガーといった部分の違いは「トラウマ」にあって当然である。
この文章は個人的な「トラウマ」の独白なのであるが、前述した「共感性」があまりないことのように思うので、ちょっとしたフィクションのようなものだと捉えてもらった方がよいかもしれない。とはいえ、もしかすると自分が認識できていないだけで意外と「共感性」の高い話題かもしれない。なにせそれは誰しもが人生で通る道で起こりうることなのであるから。また、一般にトラウマというと個人に大きな影響を与えた一つの出来事をイメージするが(人によっては違うのかもしれない)、ここで扱う「トラウマ」はどちらかというと少しずつ少しずつ抉られていったタイプの傷という感じのものである。
基本的に何かを理解するということは、「外界にある概念を改変しないようにしつつ、自分の思考の枠組みに適応するよう変形して取り込む」ことだと私は思っている。そのため、他者との議論の場では互いの理解の枠組みを提示し、比較し、その"ずれ"であったり新たな知見であったりを探していくべきだと考えている。だが、これはここ数年で身体に染み付いてきた考えであって、それ以前は全然違っていた。そのことが、「トラウマ」と大きく関わっている。
中高生の頃、決して理解力の高くなかった私は度々友人や先生に質問をしていた。が、それは必ず授業後など、他人が介さない状況下でのみだった。これは決してクラスの面前で手を挙げるのが恥ずかしかったわけではない。私の口にする質問そのものが、聞き手に理解されないからであった。「○○が××になるのはどうしてですか?」そんな感じの(少なくとも私から見て)誰もが思い至りそうなこと、先生にとって難しくはないであろうことを質問したつもりなのである。しかし、相手はこちらの意図がどうもわからないといったような反応をし、そしてやはり質問を捉え切れていないのか、こちらが聞きたいことではないことを教えてくれるのである。これが一度や二度ではなく、質問する度に起こるのである。更に、相手が教えてくれたことを基にして自分なりの理解を組み立て「△△ということですか?」と問い直してみてもやはりパッと来ないといった反応を返されるのである。そんな経験を何度も繰り返していた。
これが精神的なダメージになる要因はいくつかあるのだが、まず一番に挙げられるものは「他者とコミュニケーションがとれていない」という事実である。自分の表現力・言語力が拙いのか、将又自分の理解力がとんでもなく低いのか、今一つその理由が明確に見つけられないことは何とも言えない精神的な「重さ」を感じさせてくる。更に挙げられるものとして「勉強は基本的な理解を重ねることで誰にとっても共通した枠組みで理解できる(一種の"常識"として理解できる)はずである」という当時の自分の思想が自分に「列外の存在」であるとレッテルを張り付けてくる。自分が自分で自分に「失敗作」のレッテルを張り付けてくるのは幾分か滑稽な印象を今では抱くが、やはり当時の自分にとってかなり堪えられないものがあった。プリミティブな「他者と通い合う能力」という点でも、学問という自己実現の一ピースとしての「周囲が理解できることを理解する能力」という点でも、全く上手くできないという劣等感がこの経験を繰り返す度に深く深く刻まれていったのである。
この劣等感は大学に入学するまでの過程である程度改善されていった。劣等感の元となる2つの能力の不足を埋める経験の積み重ねがあったためである。例えば前者については授業での「多数の前での発表経験(課題研究の発表など)」の繰り返しがあった。これは本当にカリキュラムに恵まれたと言えるが、発表とそれに頭一つ抜けた評価を受けることの繰り返しは私に小さくない影響を与えた。後者は理解の実感と受験の経験である。高校三年生の時、物理や数学などを勉強する過程において「わかる!」という感動を得、さらに勉強したいというモチベーションが生まれるというサイクルを人生で初めて生み出せた経験や、国語の現代文を純粋に読解することができるようになった(問題解答のためのよくわからないメソッドに頼る必要がなくなった)経験は私をかなり前向きに受験へと向かわせた。更に、その大学受験も他者の多くより順風満帆に終えられた。また、その受験での面接の経験もかなり良いものであった。
しかし、こういった成功体験は劣等感を完全に克服するには至らなかった。理由は単純で、こちらの質問を理解されないという経験が相変わらず繰り返されたためである。とはいえ、「相手の理解と違う道を歩きこそすれ、正しい答えには辿り着けているのではないか」というような発想に至ることができつつあったので幾分か緩和されていった。ある程度「自分はちゃんと言葉を交わせる、学問も多少は理解できる」と思えるようになったのである。
そんな中で、この劣等感を強く揺さぶる出来事が起こる。第1セメスターの講義の中で自分の言葉が一切通じない経験をしたのである。いくら自分が考えていることを噛み砕き、相手の主張に対して意見を述べたとしても全く相手に届かない経験である。今となっては「相手は論点を言いたいところに持っていくばかりで全く譲歩する気がなかった」ように感じる経験であるが、当時の自分にとっては劣等感を激しく励起させる出来事に違いなかった。自分の通う大学がいわゆる難関校であることは、このコミュニケーション不全(と感じられた出来事)を自分のせいであると思わせるのに充分であった。それほどに、この大学は我が身に余るものだというコンプレックスを感じていたのである。結果として、打ちひしがれた精神状態になり、初夏の平日に無謀な行動をとることになった。この一連の出来事は、自分の心の中で延々と劣等感を生産し続ける負の経験を初めて「トラウマ」と決定づけたのかもしれない。
今となっては、この「トラウマ」が完全に克服されたということはなく、とはいえその「トラウマ」に完全に打ちひしがれているわけでもない、そのようななあなあな生活をしている。基本的には「自分の理解の枠組みと他人の理解の枠組みとが根本的に異なっていたとしても、それは全くおかしいことではない」と認識することでコンテキストのずれを捉え、「自分の言葉が他者に届かないほど拙い」とはさほど感じなくなった。とはいえ、ふとしたタイミングでこの「トラウマ」のスイッチが入ることもある。現在でも自分の言ったことの意図が(直接的に言ったにも関わらず)延々と伝わらないと落ち着かなくなり、うまく思考できなくなることがある。思考やら感情やらがこんがらがってしまう。
こうしてなんとなくでこの「トラウマ」と付き合っているわけだが、この「トラウマ」があって良かったと思えることが一つある。話がよく通う、特に他の人には通じなかったようなことが通じる人を見つけ、話をすることが一等嬉しいことに感じられることである。これは大学生になってから増えた経験だが、普段の自分の生活の中でこういった人との関係は大切にしていきたいと切に思えることは、非常に貴いものであると感じている。
この文章の一番初めに「トラウマ」の個人毎の相違について述べた。当然この私の「トラウマ」も(私が予め「共感性」が低いのではと断りをいれるくらいには)他者と全然違っていて当然であろう。この文章を書いた理由自体は「自分の中身の整理」にあるのであるが、そのオマケとして、「トラウマ」に対する捉え方にちょっと新しい視点を他者へ提供できればいいなと思う。とはいえ、私の「トラウマ」は他者への強い訴求力を生み出すほど重く深刻なものでもロマンチックなものでもないのであるが。